日本人には芸術センスがない!?海外ポスターとの比較から見るデザイン性の違い
こんにちは、はるです。
先日、「FALL」という映画ポスターの日本版と海外版の違いが話題になっていました。
そこで今回はそれぞれのポスターから見える特徴の違いと、日本版のポスターが果たしてイケてなかったのか!?について独断と偏見で見ていきたいと思います。
映画「FALL」とは
『FALL/フォール』(原題:Fall)は、2022年のアメリカ合衆国のスリラー映画。監督はスコット・マン(英語版)、出演はグレイス・キャロライン・カリーとヴァージニア・ガードナーなど。地上から610メートル強もの高さにある、老朽化したTV電波塔の頂上に取り残された若い女性2人のサバイバルを描いている。
出典:wikipedia
日本版は『FALL/フォール』として2023年2月3日(金)に公開されることが決定し、その時に日本版予告編とポスタービジュアルが解禁されました。
デザイン性が話題になったのは最近だけど、映画の公開自体はかなり前になってたんだね。
ちなみに本映画の内容と感想については、以下の記事でまとめていますので、もし気になったら見てみてください。
話題のポスターがコチラ
左側が日本版、右側が海外版のポスター。
色合いも少し異なっている(?)ように見えますが、確かにベースのイラストは同じものの印象が違って見えますね。
ネットの反応
ネットの反応を見ると、賛否両論の意見が見られました。
以下、それぞれの観点で面白かったものを抜粋しています。
やっぱ「やたら文字などで空間を埋める」って良くないと思いました。ほとんど同じ画なのに“高さ感”が全然違う。文字のせいで絶望感が弱まってる皮肉。
デザイン的、「作品」的には右。右の方が見に行きたくなる。しかし、左でないと集客が見込めない。これは映画だけではなくECサイト等のデザインからも実証されている。
デザイナーは「この文言を必ず入れろ」と各所から言われるもの。海外の広告は1秒で訴求しようとするのに対し、日本の広告は多くを伝えようとしすぎる傾向にある。
米国って英語を母語としない人が22%、州によっては30%を越えるのだそう。キャッチコピーを考えたところで、文字で書いても伝わらないと言うジレンマが有るのかなと思う。
個人的にはわからないこそ魅力を感じるので、そういう意味では想像する余地がある右が好き。
自分は左の方が観てみようかな、と思う。美的な価値と広告としての価値は別物なので。
個人的な見解
さて、ネットの反応を抜粋してみたところで、ここからは個人的に思ったことを書いていこうと思います。
文化圏ごとの識字率の違い
ネットの反応を見てみると、一つ感じたのは識字率の違いよるものと推察されていたのが面白い。
日本人の識字率はほぼ100%と言われているのに対して、海外では母国語の違いが英語であるようで、文字ではなく視覚で訴える方が多くに刺さる可能性が考えられる。
確かにYouTubeを見ても、サムネイルにはほぼすべて大きな文字が使われており、中には文字しかないものもよく見かけられる。
サムネイルに書かれた文字で内容の大枠を確認し、もしサムネイルに文字がなければタイトルの文字で動画を見るか否かを判断している。
言われてみればサムネイルの背景自体に興味を持って、動画を見たことがあまりない気がしてきた。
そういう意味では、識字率ほぼ100%の日本人に対しては、写真などのデザインよりも文字による訴求の方が、広告としての影響は大きいように考えられる。
デザイナーが各所から文言を入れろと要求されるのも、上記の経験則を踏襲する形でポスターに反映させざるを得ないのではないだろうか。
美的な価値としての広告より、宣伝としてより多くの日本人には、短いキャッチコピーを大きな文字で表現するほうが効果があるわけだ。
デザイン性の違い
識字率の違いで日本版と海外版の違いが出たと思えてきたが、デザイン性や芸術の観点ではどうだろうか?
改めて2つのポスターを見比べてみる。
どこまでも個人の見解だが、海外版のポスターはリアルなワンシーンのカットに見える。
主体は太陽と地上の落差であり、そびえ立つ塔が太陽と地上を繋ぎ、本来ならいるはずのない人間が太陽のそばに位置することで、「高さ」という絶望感を表している。
つまり、太陽こそが海外版のポスターが、語らずとも視覚的に「高さ」を表現できているポイントである。
一方で、日本版ではキーとなる「太陽」が文字で隠れてしまっている。
このせいで主体が太陽から人間にすり替わって見えてしまい、公園の遊具で遊んでいる2人のように見えてしまうのではないだろうか。
また、日本版は色合いも全体的に暗めのトーンに修正されており、空と地上の境界線がより曖昧になっている。
色合いを変えた意図は不明だが、おそらく絶望的なシーンということで登場人物の心情を反映し、暗めのトーンに明るさを調整したのかと推測する。
ここでも日本版ポスターの主体は、あくまで人間なのだ。
ポスターの中心が海外版とズレており、人間が中心に位置されていることからも伺える。
人間にスポットが当てられ、人間の心情に寄り添った色味に調整されたのが、日本版ポスターのデザインになったのだと感じられる。
まとめ:ポスターとしての良し悪しは不明
散々語ってきたが、ポスターとしての良し悪しは不明である。
個人的には海外版ポスターの方がデザイン的に好きだが、上手な景色すぎて目に止まらない気もしている。
宣伝という意味では、日本版ポスターのほうが目を引く、というか文字が大きいので嫌でも目に止まってしまう。
売上に貢献するのがポスターの役目であれば、日本では日本版に軍配が上がるのかもしれない。
ありとあらゆるところで情報が溢れかえった社会になったが、その情報過多の中で人の目を引くには、特に日本では文字の訴求が効果が高いようだ。
ただ一方で、YouTubeもまさにそうだが、文字情報で目を引く手法に慣れすぎてしまうのもどうかと思う。
これは悪いことではないし、先人の成功例から自然と主流になったものと思われる。
しかし、芸術性(特に一枚絵など)の観点から見ると、文字情報の二の次にプライオリティが下がってしまった結果、デザインの重要性が希薄化されつつある。
どれだけ売上に貢献するかが重要ならば関係ないが、本来は見て感じるもの・説明が不要なものというのがデザインの感性であり芸術である。
商業的な広告・宣伝・芸術に慣れすぎてしまった結果、日本人が文字なしでは魅力を感じられない感性になってしまわぬよう祈るばかりである。