アニメ全25話を見たあとの感想【チ。-地球の運動について-】

こんにちは、はるです。
今回は超話題のアニメ『チ。-地球の運動について-』の全25話を見終わったので、この作品に対する感想をまとめていこうと思います。
最初に断っておきたいのは、「この芸術作品に考察は無粋」ということです。
そのため、この記事は作品の余白に理屈を埋めるのではなく、「筆者はこう感じたよ。」という感想文です。
参考として「この人はこう感じたんだな」と思ってもらえると嬉しいです。
はじめに
本当に今までに見たことがない衝撃的なアニメでした。
原作は漫画で2022年に連載終了したものがアニメ化され、2024年10月から2025年3月まで放送されました。
作品の概要は以下の通り。
『チ。-地球の運動について-』(チ ちきゅうのうんどうについて)は、魚豊による日本の青年漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)2020年42・43合併号から2022年20号まで連載された。
15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いたフィクション作品。
この記事ではアニメに関する感想や思ったことを中心に話します。
それでは、早速はじめましょう!
アニメ「チ。-地球の運動について-」の感想
日本に生まれて本当によかったと思うことのひとつは、国産の漫画やアニメ、ゲームや音楽を母国語で体験できることじゃないでしょうか。
本作品の舞台はヨーロッパ某国となっており、繰り広げられる物語も西洋思想と文化が中心となりますが、日本アニメなので当然オリジナルは日本語でストーリーが進みます。
声優陣についても触れますが魅力的な声優陣が多く、作品の感動がより大きなものになったと思いました。
具体的な感想ダイジェストは以下の通り。
順番に解説します。
理系で良かった〜!!!
理系出身の人、おめでとうございます。
一部のネット界隈では文系大国とされる日本ですが、「チ。-地球の運動について-」のような作品に触れられることで、自己肯定感が少しだけ増したような気になれました。
本作品は哲学的な要素で溢れているのですが、題材が「地動説」だけに理系心をくすぐる内容も盛り沢山です。
例えば、惑星の軌道計算やら「禁じられた研究」など、理系にとって親近感あるワードがちょくちょく出てきます。
かくいう筆者も理系出身なので、あまり真面目とは言えない学生生活でしたが、研究室に箱詰めだった日々を少し懐かしく感じられました。
もうあまり覚えてない専門知識も多々ありますが、研究こそ「知の探求」ということで実験やデータ分析、事象の考察などの経験が「チ。」を身近に感じさせてくれるはずです。
また、高校生の頃に友達か先生だったかに聞いた怪しい記憶ですが、「生物を突き詰めると化学に辿り着き、化学を突き詰めると物理に辿り着く。物理を突き詰めれば数学に辿り着き、数学を突き詰めると哲学に辿り着く。」のような言葉があります。
筆者はこの考え方に共感する面があり、生物→化学→物理→数学→哲学と繋がっていき最後は概念に行き着くのがとても面白いです。
細胞内の相互作用やら阻害剤の分子反応やら、分子間・分子内の反応が熱力学や量子力学やら、それらの計算が難しそうな方程式で行われたり、そもそも先人達が積み上げてきた膨大な実験値の統計データだったりと、「一定の条件を前提」として成り立つ相対的な考え方が、哲学チックで好きだなあと感じます。
要は、研究も実験も「基準」が必要な相対的取り組みだと気付かされるのです。
まあ、かじった程度の研究の思い出なので、命懸けで研究に打ち込むラファウ達を見ると、もう少し真剣に取り組めばよかったな、というないものねだりのようなものです。
というわけで話が逸れましたが、今まさに理系学生、卒業したOB・OGのみなさん。
ぜひ理系の方にこそ、まだアニメを見てない人におすすめしたい作品でした。
終わりの突き放され方が芸術的
記事の冒頭で「この作品に考察は無粋」といったのは、この突き放され方に茶々を入れたくなかったからです。
もちろん、各々が好きに想いを馳せればよく、ときには批判をするのも大事。
ただ、筆者は敢えてこの終わり方を選んだ魚豊先生に凄まじさを感じます。
まるで、終盤に向けて加速していく好奇心の熱量をエネルギーに、読者・視聴者を大気圏の外まで吹っ飛ばすような、そのまま一人ひとりが宙に放り出されて地球の周りを等速円運動し始めてしまうような。

題材の「宇宙」というテーマになぞらえるように、視聴者を宇宙まで飛ばしてしまうセンスに「やられたw」と衝撃を受けました。(アニメの最後、宇宙まで吹っ飛ばされて地球の軌道が見えましたよね…?)
何を言ってるのかというと、筆者はこの作品を「地動説が証明されるまでの物語」と勝手に思い込まされてたわけです。(おそらく他の人も?)
フィクションながらもドラマチックに異端審問官や教会側の弾圧に抗い、最後はラファウ達から受け継がれてきた「チ。」によって、地動説が証明されるイメージ。
なので、「ガリレオまだかな〜?」なんて呑気に思っていたら、驚きの加速度で史実に収束していき、勝手な期待が宙に放り出された感覚が心地よかったです。
そのまま宇宙の果てまで行くことができたら、神様に会えるかもしれませんね。
本当に数々の残された余白(疑問)が素敵すぎます。
OP主題歌『怪獣』の粋な演出
エンディングのヨルシカもめちゃ良いのですが、いま現在どハマリしているサカナクションの「怪獣」を聴きまくって気付いた点を少し。
関連動画も最後に載せますので、よかったら参考にしてください。
アニメ版OPでは出てこないフルバージョンに追加された部分の「淡々と知る 知ればまた〜〜〜」(楽曲0:50付近)についてです。
ここの「知れっば」の「っ」の部分、一瞬すべての音が止まって無音に聞こえませんか?
音が一瞬途切れながらも続く音楽、命が途切れながらも続く知の探求。
この一瞬途切れて音楽が続いていく箇所が、「チ。」という各章の主人公が途切れながらも次に託していく想いが表現されてるような気がして、とても原作リスペクトだと感じました。


その他にも「点と線の延長線上を辿る」=星座、のような作品を想起させる歌詞(もちろんそれだけの意味合いではないだろうが)が散りばめられて、ストーリーと音楽が調和された最高のアニメソングと思います。
ただやはり、この一瞬の音切れが本当にもう、最高に「チ。」って感じ。
あと、余談かもですが『怪獣』の「淡々と散る」(楽曲2:12付近)のコーラスパート以降が、少しQueenの『Bohemian Rhapsody』みを感じましたね。
具体的には、ボヘミアン・ラプソディのオペラパートでコーラスしてる箇所です。
なんでだろう〜???と自分でも不思議だったのですが、なるほど納得した点がひとつ。

ボヘミアン・ラプソディのオペラパートで、「ガリレオ ガリレオ」いうてましたね。
ガリレオ=地動説、ボヘミアン・ラプソディという要素と、チ。=地動説、怪獣というイメージがごっちゃになって、ボヘミアン・ラプソディ(オペラパート)=怪獣(コーラス)という連想が起きたかもです。
この怪獣のコーラスパートから「点と線の延長線上」に繋がり、宇宙のような壮大なメロディーに展開される流れもめちゃくちゃ好きです。
このコーラスパートが作品をオペラのように引き立て、楽曲全体を芸術的な仕上がりにしたと感じました。
原作者の魚豊先生とサカナクション、魚とサカナということでアニメ「チ。」という作品の運命的な巡り合いと調和に感謝します。
青年ラファウの正体とは?
「チ。-地球の運動について-」の最大の謎のひとつが、死んだはずのラファウの再登場です。
しかし、ここで正体をズバリ予想することはしません。
もしかしたら仮死状態から上手いこと生き延びたのかもしれないし、単にそっくりさんなだけかもしれないし、生まれ変わりかもしれないし、知の暴走の象徴かもしれないし、パラレルワールドなんかの見方もあるそうですね。
個人的には地動説に感動して命懸けの研究をした少年ラファウと、安易な殺人を選択した青年ラファウが同一人物と思いたくないので、「見た目も名前も声も同じ別人」のように捉えてます。
なぜなら、殺人は「美しくない」からです。
唯一、「誰か何かの役に立たなければいけない、という発想はクソだ。」という意見については同意。
じゃあ青年ラファウがこのタイミングで出てきた意味とは?
筆者的には「ノヴァクの救済」だと考えています。
ノヴァクといえば超シゴデキの異端審問官で、娘を愛してやまない子煩悩、そして主人公たちを死に追いやった「この物語の悪役」です。
アントニ司教にも若干メタ的に言われた感じがありますが、この作品の悪役として彼は大いに活躍してくれました。
しかし、彼は本当に悪役だったのでしょうか?
物語の構成上、かなりヘイトが溜まる側面に焦点が当たっていたのは事実です。
主人公たちが辿り着けそうなゴールの直前に立ちはだかり、ことごとくその有能さでいつも目的達成を阻止してきました。
一方で、基本的には面倒くさがりで娘に甘いおじさん、気さくで腰の低さも伺えるシーンなんかもありました。
残忍な異端審問官の言動ばかりが印象に残りやすいですが、ノヴァクもまた「地動説」に人生を狂わされたひとりとも思えるのです。(幻想ラファウとの対話でも似たやり取りがありましたね)
そんなノヴァクおじさんの実は一番印象的なシーンは、最期に祈るシーンではないでしょうか。
ノヴァクは「(たとえ肉親だとしても)自分ではない他の誰か」のために祈りを捧げたからです。
実は対峙した時に解放戦線のリーダーが自分の娘(ヨレンタ)であることに気付いたのか?吹き飛んだ手と手袋がぴったりハマった時に気付いたのか?最期まで気付かなかったのか?
真相は不明ですが、他者のために祈りながら逝った姿は、これまでの言動も自己本位的なエゴではなく、使命感に突き動かされた結果なのだと感じられました。(超有能なばっかりに…)
そして、マンガ史に残るダークヒーローことDEATH NOTEの夜神月と対称的だったのが個人的にとても面白かったです。


一方は悪あがきの果てに無様な姿が描かれ、もう一方は他者への祈りとともに逝く。
どちらも己の信念に従いときには人を殺めてきましたが、死に様の違いに生き様の違いを垣間見えたような気がしました。
…あれ?結局、青年ラファウの正体は?ってことなんですが、散々ヘイトを買ってきたノヴァクの読者への救済措置なのかな?ということです。
つまり、主人公たちへの同情票(=ノヴァクへの憎悪)が、青年ラファウの行動によって薄れる気がしませんか?
彼の謎な説得を聞いてアルベルト同様に「何言ってんのコイツ…」と引いた視聴者も少なからずいるでしょう。
それこそが重要で、この作品に「真の悪役はいない」という気付きを与えてくれたと筆者は感じています。
もし異端審問官とならなかったノヴァクの世界線があるなら、気の良い子煩悩おじさんだったかもしれませんね。
声優陣も最高すぎる采配
坂本真綾が好きすぎる問題。
ラファウはいうまでもなく、リゼロ(Re:ゼロから始める異世界生活)の”強欲の魔女”エキドナの声も坂本真綾が担当しています。
リゼロにおける強欲の魔女の特徴は、「この世のすべての知識」を欲していること。

このエキドナの特徴が「チ。」の世界観に妙にハマってると感じ、声優のオーバーラップも相まってめっちゃ良かったです。
さらにバデーニさんは呪術廻戦の五条悟やDr.STONEの獅子王司、リゼロのラインハルト・ヴァン・アストレアなど、強キャラ担当でお馴染み中村悠一の超イケボも最高でした。
毒舌だけど理性的で少し不器用なバデーニさんの強キャラ感と、中村悠一ボイスが絶妙にマッチしててかっこよさ倍増に感じました。
そして、オクジー君のキング・クリムゾンが見てみたかったです。
処刑の直前に能力を発動して「おまえがたった今目撃し、そして触れたものは…『未来』のおまえ自身だ」とノヴァクにできたら、歴史が変わっていたかもしれません。
ツダケンのノヴァクはもう触れなくていいよね…(良すぎるので)
「もしかしたら、本当にあったかもね」が良い
もしかしたら遠い国の昔のお話で、歴史には残らないけれど近しい出来事が起きていた、と思うとロマンがあるなあと感じました。
史実に合流していく際の「ポトツキへの寄付」や「地球の運動について」がさりげなくて素敵でした。
アントニ司教がノヴァクに対してメタったと思えば、作品タイトル自体が物語の世界に入り込んだりと、縦横無尽なアルベルトへの受け渡しが秀逸。
この現実世界とフィクションが交わる「もしかしたら本当にあったかもね」というカラクリが大好きで、もうひとつだけ似た構造の作品を知っています。

それは国民的アニメ映画、スタジオジブリ作品の『もののけ姫』です。
なぜそう思うのかというと、もののけ姫のオープニング曲「アシタカせっ記」にあります。
この「せっ記」という言葉は宮崎駿監督の造語で、「人の耳から耳へと伝えられた物語」という意味です。
もともと映画タイトルも「アシタカせっ記」という案があったそうですが、鈴木敏夫プロデューサーが「もののけ姫」というタイトルに決定した模様。
そんな「もののけ姫」の始まりに流れるメインテーマ「アシタカせっ記」。一度は聞いたことがある人も多いでしょう。
この「せっ記」という言葉の意味のとおり、太古の日本で、正史に残るような記録はないけれども、人の耳伝いに語り継がれていくような、勇敢な物語が「本当にあったかも」しれません。
史実には残らないが、その歴史の背景にあったかもしれない現実世界とファンタジーの交錯は、とてもロマンがあるもの。
なぜなら歴史に残らない背景こそ我々の日常そのもので、物語を日々の身近なものに感じさせてくれるからです。
そんな想像が膨らむ仕掛けのある「チ。」という作品は、やはり素晴らしいなと感じさせられました。
盲信しないことの大切さを学ぶ
例えばですが、「地動説」って本当にあってるんですかね?
本当は「天動説」があってるんじゃないでしょうか?
もしこの問いを投げかけたら、筆者は頭の残念な人に見られてしまうかもしれませんね。
もちろん、筆者も地動説が正しいとは思ってるのですが、確たる証拠があるわけではありません。
世の中や知識人が「地動説が正しい」と言っているから、それが正しいんだと思っています。
…あれ?でもこれって変ですよね?
周りがそれっぽいこと言ってるし、それっぽい証拠や証明もありそうだから、きっと正しいんだという理論は、「チ。」という作中の「天動説」を信じている人と何が違うんでしょう?
おそらく、ラファウ達が「地動説」を認識した時の衝撃は、我々が「新たな天動説(仮)」を認識するくらいの衝撃だったと想像します。
「そんなのありえない」から「ありえるかも」への転換。
実際は観測点からの見方次第で、どちらにも変わりうるのでしょうけど。(観測は相対的なものなので)
ただ、ここで言いたいのは難しい自然科学の話ではなくて、「当たり前」を盲信しすぎていないか?ということです。
例えが微妙かもですが「世の中のニュース」とか「一昔前の常識」とかが当てはまるかもしれません。
もしかしたら、それぞれの生活のもっと身近な所でも。
さすがに何事も疑うのは疲れてしまいますが、盲信しすぎないことの大切さをメッセージに感じました。
何事もバランスが大事といってしまえばそれまでなのですが、「神と動物の中間」である人間は混沌と秩序を受け入れられるようなので、上手いこと迷いながら進むしかなさそうですね。
そんな人間らしい人間という生き物の壮大な人間ドラマを「チ。」から感じました。
まとめ:すべての人にタウマゼインを
ここまでお読みいただきありがとうございました。
筆者がアニメ「チ。-地球の運動について-」の全25話を見て感じたことを独断と偏見で好きなように語りました。
少しでも参考になったり楽しんでいただk…
(コンコン)
…?はーい

君がはるく〜ん?なにこれ?

!!!!!

この世の平穏を乱すような記事は見過ごせない…

関連情報
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